京都の毘沙門堂 勝林寺で座禅体験してきた!!

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毘沙門堂勝林寺で座禅体験してきました!
座禅を初めて体験しましたが、本当に有意義な1時間でした。
この記事は「座禅ってどうやるの?坐禅について詳しく知りたい!」という方が、「なるほど!」と思えるような記事になっております。
ぜひ、興味のある方は読んでみてください。

勝林寺の体験メニュー

  • 座禅体験
  • 写経・写仏体験
  • 座禅と朝粥体験
  • 座禅とヨガ体験

他にも季節によって、アロマ体験やお灸体験などができるようです。
今回僕が体験したのは、座禅の説明~15分座禅~休憩~15分座禅~お茶というものです。
毎日1~2回ほど開催されています。
当日予約も空きがあればOKですよ~。
料金は1000円でした。
詳しくは勝林寺ホームページを見てみてください。

また、虎嘯(こしょう)会というものがあって、それに入れば体験の15分座禅~休憩~15分座禅~お茶よりもさらに長い25分座禅~休憩~25分座禅~お茶を体験できます。
虎嘯(こしょう)会はカレンダーを見るかぎり、月に1回程度開かれるようです。
年会費は5000円なので、毎月400円ちょっとで座禅を体験できるということですね!


座禅とは

お釈迦様は、ブタガヤの菩提樹の下で坐禅をされ、7日7晩の禅定の後に、悟りの境地に入られました。
「坐」は、日本の言葉で「すわる」といいます。「すわる」とは、落ちついて動じない、とか、静止する、定着する、などの意味だと辞典にあります。要するに、動かないように安定させることです。
身体を落ちつけて動じない形に安定させ、心を一ヵ所に集中し定着させる。その身と心とを融合統一し、身心を一如に安定させるのが呼吸です。そこで身・息・心の統一調和をはかるのが「坐」だということになります。
 次に「禅」ですが、これは「禅那」といい、サンスクリットの dhyana とか、パーリー語の jhana とかの音写で、静慮と漢訳されます。現代の中国語では、channa と発音するようですが、静慮の意味であることに変わりはありません。ただ静慮という訳は、適訳ではないので余り用いられず、「禅」で通っています。そして、禅那とは、心統一の因だといわれますから、坐ることによって身・息・心を統一し、または統一しつつある状態が坐禅だということになります。
勝林寺ホームページより引用

身体と呼吸と心が統一する状態のことを「座禅」と言うようです。身体が微動だにしていなくても呼吸が乱れていたら、座禅の状態ではないということです。
お釈迦様は一週間の間座禅をしたというから驚きですね!
僕は体験の30分だけでもしんどかったので、悟りの境地というものは想像もつきません(笑)


座禅の効果

  • ストレス軽減
  • 集中力がつく
  • 心が落ち着く
  • 不安を感じづらくなる
  • うつ病統合失調症の改善

坐禅をすることで「セロトニン」という脳内物質が分泌されることにより、これらの効果が得られます。

人間の脳の活動を図るものとして脳波というものがあります。

ガンマ波[30~50サイクル] 
非常に興奮している際に出る脳波。(言い争い、喧嘩)

ベータ波[20~30サイクル] 
正常な人が眼を開けて、活発に日常活動するとき出る脳波

アルファ波[10サイクル] 
心身ともに安静な状態で眼を閉じて、リラックス時に現れる脳波

シータ波[4~7サイクル] 
寝入りばなのウトウトとした状態で出る脳波

デルタ波[0,5~3サイクル] 
非常に深い眠りの状態ででる脳波


我々は通常(喧嘩をしていなければ)、②のベータ波が脳から出ていることが多いわけですね。
③のアルファ波は別名“幸福の脳波”と言われているとのことです。たしかにリラックスして目を閉じているときは、まさに幸福そのものですよね。しかしリラックスしているかどうかは別にして、坐禅の最中ではこの“幸福の脳波“がでるとの事です。坐禅は通常目を開いたまま行うのですが、それでもこの③のアルファ波がでるそうです。不思議なことですね。さらに坐禅の熟練者は④のシータ波まで座禅中に出るとの事です。
「坐禅 効果、効能」より引用

座禅をすることで、寝てはいないけど起きてもいない脳波になり、頭の中がリラックスした状態になります。
この脳波のことをアルファ波(幸福の脳波)といいます。
一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?
また、脳のリズムをアルファ波に変えるには30分以上の座禅が必要だそうです。
ご住職さんは、線香1本(40分~50分)が燃えつきる時間が坐禅1回の正しい時間だと言っていましたから、座禅の効果を最大限実感しようと思えばそのくらいの時間が必要なのでしょう。



京都、勝林寺までのアクセス

勝林寺は東福寺駅から徒歩で8分です!
Google マップ
詳しい場所はこちら↑

河原町駅からは徒歩40分です。
今回は散歩がてら河原町から歩いて勝林寺まで行ってきました~
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河原町から鴨川沿いをずっと行くと、
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着きました!!
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とても綺麗なお寺でした。

勝林寺で座禅体験に来ていた年齢層

実際に行ってみて思ったのが、若い人がけっこう多いということ。
約40人いましたがその中の3分の1くらいは20~30代くらいのひとでした!
カップルで来ていた方もいましたよ。
座禅って、お年寄りに人気なイメージがなぜかありましたが、案外若い人のほうが関心があるんじゃないかと思います。
大学生でもまったく違和感なく体験できるので、興味のある方はぜひ行ってみてください。

座禅のやり方

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座禅の部屋にはいると、このように畳の上に座布団が敷いてあります。
とても落ち着く場所でした。
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大きい座布団の上に小さい座布団があります。小さい座布団の上に腰をかけて座禅を行います。

それでは、勝林寺で教わった座禅のやり方を具体的に紹介していきます。

足の組み方

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足の組み方は写真のように両足を太ももの上に乗っけるような形です。→結跏趺坐(けっかふざ)
写真のような結跏趺坐ができなければ、片足だけでも大丈夫です。→半跏趺坐(はんかふざ)

足を組めたら左右に体を揺さぶって、安定するように調整します。→左右揺振(さゆうようしん)

手の組み方

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手はこのように大きく円を描くように組みます。→法界定印(ほっかいじょういん)
注意点は3つあります。

  • 親指に力が入らないように、やさしく親指同士を合わせる
  • なるべく大きく円を描く
  • 右手の指が下にくるように手を組む

仏様は左の指が下になっているので、その逆で右手が下にくるように手を組みます。
そして、親指には力がはいらないように意識してください。
ご住職さんは親指をみただけで、その人が何を考えているかまでは見抜くことができませんが、心の状態は見抜くことができるそうです!
それほど、人の心は手に表れやすいということですね!

呼吸法

呼吸をするときの注意点は2つあります。

  • すべて鼻で呼吸を行うこと
  • 吸って吐くまでを20秒から30秒ほどかけて、細く長い呼吸を心がける

欠気一息(かんきいっそく)

目の開け方

目は半眼で行います。
すべて閉じてしまうと自分の世界に入ってしまうので、坐禅では良しとされていません。

  1. まず、姿勢を良くして頭をぐっと高い位置にもってきます。
  2. そして、視線を少し下げます。
  3. そしたら、自然と半分目が開いた状態になります。これが半眼です。

1メートルくらい先を半眼で見つめた状態で座禅を開始します。

警策(竹の棒で肩を打つやつ)の受け方

警策とは、木の長い棒で肩を叩くやつです(笑)
あれも坐禅体験で受けることができます。
警策はすごく良い音がなるんです。ペンペーン!!って感じ

あれを眠くなったときや雑念がたくさん湧いてきてまとまらないときに打ってもらいます。

  1. ご住職さんが自分の前を通ったときに、手を合わせて合掌する
  2. 合掌したまま頭を下げる
  3. 左右の肩甲骨に2発ずつ打っていただく
  4. 頭を上げ礼をする
  5. 手を法界定印(ほっかいじょういん)に戻す

このような流れです。
警策と聞くと、後ろから打たれるイメージがありますが、臨済宗の勝林寺では前から警策を行います。
宗派によって前後が違うようです。

そして、警策は「痛そう」というイメージがあると思いますが、実際受けてみるとめっちゃ気持ちいいです(笑)
すごく大きな音が出るんですけど、まったく痛くありません。
警策をしてもらうと、不思議とさらに坐禅に集中できるようになるんです。

体験に行く方は、ぜひ警策を打ってもらいましょう。


感想

座禅体験のあとにご住職さんのあいさつがありました。
とても普段聞けるような話ではなく、貴重な話を聞くことができたと思っています。
そのなかでも特に印象的だった話が2つあります。
1つ目が二元論的な考えは仏教とは真逆の考えだという話。
僕たちは普段の生活の中で、「良い・悪い」とか「苦しい・楽」とか二元論的に話すことがありますよね。でも、そのような考えは愚かだということです。
「娑婆じゃ地獄じゃ苦じゃ楽じゃどうじゃこうじゃと言うが愚かじゃ」という一休宗純の言葉を思い出しました。
2つ目が花や空を見たときに「美しい」と感じる心が仏の心だという話。
ご住職さんは、パッと外の風景をみたときに「綺麗だなぁ」と感じる心が仏の心だと言っていました。外にある綺麗な風景をみたときに「汚い」と思う人はいないはずです。だから誰にでも仏の心は持っているのです。というお話でした。

わずか1時間でしたが、とても有意義な時間でした。
興味のあるかたはぜひ行ってみてくださいね!




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